【ゴールデンカムイ】裏切り者は誰⁉「最後の晩餐」のオマージュを解説

 ゴールデンカムイでは数々の作品がオマージュされて登場します。

 今回取り扱うのは『最後の晩餐』のシーン。

 江渡貝邸での銃撃戦を終え、新たな面子と手を組み食卓を囲んだ杉元一行。

 様々な思惑が絡み合う中で、『裏切り者』は一人静かにほくそ笑む―――。

 各陣営の情報が錯綜するこの一コマを、今回は徹底解説していきます!

このコマの登場は何話?

  • 単行本9巻 81話「隠滅」
  • アニメ第14話(2期2話)「まがいもの」

 以上の回でそれぞれ登場します。

 ※本記事にはゴールデンカムイ最終話までのネタバレが含まれます。

『最後の晩餐』って何?

レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』(1495-98年頃/サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院)

 『最後の晩餐』とは、新約聖書内で登場する、処刑前日にイエスが十二使徒と最後の食事をともにする一幕を指します。

 この席でイエスが「あなた方の中に私を裏切ろうとする者がいる」と衝撃的な予言を行い、弟子たちの間に緊張が走ることになるのです。

 この場面はしばしば西洋画として描かれており、その中でもとりわけレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた一枚が有名です。ゴールデンカムイで登場する一コマもそのオマージュにあたります。

 そして『最後の晩餐』といえば『裏切り者』、すなわちユダがどのように描かれているのかが最も重要です。

 ゴールデンカムイの場合それがどのキャラに対応しているのか、「裏切り者が誰なのか」が読者の一番の関心になるでしょう。

 

『裏切り者』=ユダは誰?

 イエスと12使徒、計13名が描かれた『最後の晩餐』。

 それぞれどのキャラクターがどの使徒に対応しているのか、分かりやすく図にしてまとめてみました。

 左の人物から順に表にすると、以下のようになります。

キャラ名対応する12使徒使徒の特徴
(剝製)バルトロマイ生皮剝ぎの刑で殉教
(剝製)小ヤコブイエスと容貌が似ていたとされる
(剝製)アンデレペテロの弟
キロランケユダイエスを銀貨30枚で売り、処刑させた裏切り者
杉元佐一ペテロ使徒の第一人者で初代ローマ教皇
白石由竹ヨハネ大ヤコブの弟で「イエスに最も愛された弟子」とも称される
アシㇼパイエス神の子、キリスト教の始祖
(剝製)トマスインドに宣教しに向かい、そこで殉教したとされる
牛山辰馬大ヤコブヨハネの兄
家永カノピリポフィリポとも言われる、ギリシャ語を話すユダヤ人
尾形百之助マタイ福音書を記したとされる説もある、元徴税人
永倉新八タダイユダ・タダイという名だが『裏切り者』ユダとは別人
土方歳三シモン聖書内で詳細な言及がない人物
※(剝製)=江渡貝くん作の剝製のこと

 はい。

 このコマが出た81話のその先を、すでに読破済みの方なら納得の人選のはず。

 「裏切り者はキロランケである」と、この時点で作者は示唆しています。

 そしてその通り、この後キロランケは尾形百之助と手を組み、アシㇼパの父ウイルクを撃ち殺し、杉元佐一の額を打ち抜くのです。

ユダ以外の人選も、後の展開を暗示している!?

 ゴールデンカムイを最終話まで読み終えてからあらためてこのコマと向き合うと、新たな発見がいくつかあります。

①杉元佐一とペテロ

 彼に対応する使徒であるペテロは、湖で弟とともに漁をしていた際、イエスに声をかけられ最初の使徒となった人物です。

 弟子のリストでも常に先頭にあげられる、まさに弟子たちのリーダー的存在。

 イエスの立ち位置にアシㇼパが当たることを鑑みると、生涯をともにした相棒である二人の関係性とピタリと重なります。

 また、『最後の晩餐』でペテロはナイフを手に握っており、『裏切り者』がわかったらいつでも切り付けようと身構えている人物として描かれています。

 裏切り者は殺す。

 そんなペテロと同じ気概を、杉元も見せる場面がありました。

 そう、それは117話。

 裏切り者ではないかと疑われるインカラマッとキロランケに対し、杉元は爽やかな笑みとともにこう言い放ちます。

 「インカラマッとキロランケ、旅の道中もしどちらかが殺されたら……、

 俺は自動的に残った方を殺す」

  何度見ても恐ろしいセリフ………。

②尾形百之助とマタイ

 マタイは元「徴税人」。

 金に汚いヤツだと、多くのユダヤ人たちから当時、忌み嫌われてきた職業でした。

 それがイエスと出会って心を入れ替え、そののちは最も熱心な信徒として活躍します。

 中央のスパイとして暗躍し、アシㇼパに出会って彼女に執着する尾形の姿と少し重なって見えます。

 また、マタイはしばしば『天使』とともに描かれる人物です。

 尾形の傍に常に佇み、彼の最期をも笑顔で迎え入れた故人、花沢勇作を彷彿とさせます。

 ③白石由竹と牛山辰馬、ヨハネと大ヤコブの兄弟

 ペテロ(杉元)と大ヤコブ(牛山)、ヨハネ(白石)の三人は特に地位の高い弟子とされ、イエス(アシㇼパ)とともに描かれることが多い人物です。

 暴走列車上の最終決戦、アシㇼパとともに最後まで戦った杉元・白石、彼らを守って命を散らした牛山との関連性を考えると感慨深いものがありますね。

余談:レオナルドが変えた『最後の晩餐』におけるユダの立ち位置

 実は『最後の晩餐』を描いたのはレオナルド・ダ・ヴィンチだけではありません。

 レオナルド以前にも多く描かれていました。

 しかしレオナルド以前と以後で大きく異なる点が一つあります。

 それは『裏切り者=ユダ』が一目で判別できるか否かという点です。

 ここでもう一度、レオナルドの『最後の晩餐』を見てみてください。

 ………どれがユダだったか、わかりますか?

 ぱっと見ても、ユダが誰なのか見分けがつかないと思います。

 これこそがレオナルドが変えた、『最後の晩餐』におけるユダの立ち位置なのです。

 レオナルド以前の『最後の晩餐』と見比べてみてください。

ジェット・ディ・ボンドーネ『最後の晩餐』(1320-25年頃/アルテ・ピナコテーク所蔵)

 はい。

ドメニコ・ギルランダイオ『最後の晩餐』(1476年/パディア・パッシニャーノ教会)

 はい!!!

 ……おわかりいただけましたでしょうか?

 一つ目のジェット作『最後の晩餐』。

 イエスと12使徒たちは皆、後頭部に『光背』と呼ばれる光の輪を背負っています。

 しかし絵の中に一人だけ、『光背』のない人物が……。

 それが『裏切り者』ユダなのです。左下、黄色い衣をまとった人物です。

 二つ目のドメニコ作の方はもはや説明不要でしょう。

 一人だけテーブルの反対側に座る人物、彼がユダです。

 このようにレオナルド以前の『最後の晩餐』は皆、ユダを一目でわかる『裏切り者』として描いていました。

 しかしレオナルドはこの風潮にメスを入れ、現代にまで語り継がれる偉大な一枚『最後の晩餐』を残すに至ったのです。

 裏切り者であっても、それが明るみにでるまでは肩を並べて晩餐をともにする―――。

 そんな嵐の前の静けさのような一瞬が、レオナルドによって、そしてそれをオマージュした野田サトル先生の手によって、この一コマに切り取られたのでしょう。

「良かった……、この旅は無駄ではなかった」

 キロランケのこの言葉で、本記事を締めさせていただこうと思います。

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

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